毎週の説教メッセージ

off 誓いを果たされる神

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説教:岩河 敏宏 牧師

創世記28:13-22

私たちは、人生における針路や目標・目的地について、多くの場合は自己判断で選択します。しかし、私たちの判断は利己的であるため、本人の意図とは別に不和や分断を招くこともあります。聖書は、私たちが人生の岐路に立つとき、語りかけ寄り添う存在として、神がおられることを記しています。本日の個所も、その一つです。双子でありながら、兄エサウと弟ヤコブの間には、父イサクからの“祝福”をめぐって確執が生じます。イサクが子へと継がせる“祝福”とは、神が「父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい」(12:1)とアブラハムに告げ、彼がそれに応え、明確な針路も目的地も明示されないままで出発した時、神から与えられた“祝福=たたえる”(12:2,27:4,28:14)で、兄弟間で確執の元凶となった“祝福=賜り物(27:13,41)”とは質を異にします。神の祝福より、物質的な祝福をめぐる謀により兄の恨みを招き、ついには独りで家を出ることになります。この時、神がヤコブに現れ“祝福”を約束されるのです。彼は神の前で罪に関する発言はなく、自身の保身を願います(28:20-21)。ここで注目したいのは、神が自己保全を優先する彼を咎めないことです。神は自己中心的な私たちに、「あなたと共にいる。必ずあなたを守り、連れ帰る」(15)と誓って下さるのです。利己的で不和を招く私たちだからこそ、神が共にいて守る、との誓いを果たすのです。無条件の神の恵みに応えたい。

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