毎週の説教メッセージ

off どこにいるのか

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説教:加藤久幸 牧師

創世記3:8-24

創世記2-3章は誤解されることが多くあり、2:17の「善悪の知識の木」も他の聖書の物語では登場しません。他の要素も含めて、多くの人が、この物語を特別なものとして受けとめ、悪・罪・死などについて抽象的な検討を重ねることがあります。しかし、現実的な危機(悪・罪・死など)に遭遇した時、人間はどう生きるかを、この物語は語ります。今日の聖書は、「その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた」(8)と、始まります。神は、人間が変化したのか触れず、「どこにいるのか」(9)と語りかけます。人間の反応から、園・神・人間の在り様はそれ以前とは変化がないにもかかわらず、人間の見方・関わり方が変化したことを受けとめます。神の意図に「誘惑」をもって歪みをもたらした蛇への対応が、14節に出てきます。蛇がどうなったかというより、神は見過ごしにされずに対応されたと受けとめたいものです。人間に対しては、自らの思いや判断に伴い生じた、歪みの責任を担うことが宣告されます。歪みは、裸に伴う弱さ(3:7,10)、恐怖(10)、敵意(15)、苦しみ(16)、支配(16)など、関係を疎外するものとして現れます…。驚くべきは、人間に対する使命は、この宣告においても変わっていないことです。そして、皮の衣(21)を与え、土・世界を「耕す」(23)ことへと、人間を改めて遣わされます。「どこにいるのか」と語りかけてくださる主と共に、歩みたいものです。

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