説教:加藤 久幸 牧師
マラキ書3:19-24
マラキ書は、紀元前5世紀、エズラ・ネヘミヤに先立つ時代の預言であると言われてきました。私たちの現実においても、戦争や災害の時も大変ですが、その後の復興においても(こそ)、時間がかかり、混乱や困難が生ずることが多いのではないでしょうか。マラキは、現実の復興(神殿再建など)よりも、より根本的なというか、神への不信・嫌疑と向かい合いました。それは2つに要約できる、つまり、長く続く困難の中で、イスラエルは、➀神は私たちを愛してくださらなかった、➁神は正義を行わなかった(契約の義務をはたさなかった)と、疑いました。今日の聖書の前の3:13-16に、その様子がうかがわれます。この場面には、意見の相違があり、論争があります。現実世界は、混乱に満ちています。そして、神への告発があります。17-18節は、預言者が、神の言葉を預かるように語られています。神は、「未来」において既に決断されており、その決断から、神は現在へと語られ働かれます。「その日…わたしは彼らを憐れむ。そのとき、あなたたちは…区別(裁き・正義)を見るであろう」(17-18)。19-21節の実現は、私にはよくわかりません。私たちは、その経過を明確にわからなくとも、この世界が正義に満ちた世界に変えられることを願っています。マラキは、23-24節で「主の日が来る前に」 預言者を遣わし、父(神)の心を子(民)に 子(民)の心を父(神)に向けさせると、預言しました。

