説教:岩河 敏宏 牧師(埼玉和光教会)
ヨハネによる福音書5:1-9
本日の聖書箇所は「このことの後に」(5章1節)という書き始めで、イエスとの関わりの中で“命”の在り方に焦点を当てた、4章との繋がりを読者に意識するよう促しています。本日の箇所は、池の水が動く時に、その中に入れば病が良くなるとされる池(ベトザタ)の付近に38年も居る男と、イエスとの関わりに焦点が当てられています。38年と言う年月の経過は、人生の隆盛期を過ぎて下降局面に入っていることを示唆します。人間的な価値基準からすれば、彼よりも将来を嘱望される人が居ると想像されますが、イエスはなぜ彼に声をかけたのか。彼は自分の人生における転換期(池の水が動く時)に、他人任せにする人生を歩んできました(7節)。それを聞きイエスは、「起き上がりなさい」(8節)と彼に命じます。この語は、目を覚ます・復活するとも訳され、神から与えられている使命に目覚め、新たに起き上がること(復活)を私たちが神(イエス)から期待されていることが記されているのです。しかし、彼はイエスによって新たに歩み出す機会を与えられたにもかかわらず、自身の責任で自分の人生を歩むのではなく、他者に転嫁するこれまでの歩みを改めることをしません(10節~11節)。私たちの感覚からすれば、神の期待を違えることに対する恐れがありますが、イエスは変わらず関わりを持って下さいます(14節)。人間的な基準でなく、私たちを唯一無二の存在として、イエスは「人を活かす言葉」を今も私たちに掛けています。