説教:加藤 久幸 牧師
使徒言行録17:16-34
パウロのアテネ滞在の様子を、聖書は次のように報告します。「会堂ではユダヤ人や神をあがめる人々と論じ、広場では居合わせた人々と毎日論じ合っていた。また、エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者も パウロと討論した」(17-18)。その展開の中で、パウロは、アレオパゴスで、福音宣教をすることになります。パウロは、アテネの人々の知的好奇心に訴えかけつつも、キリスト教の言説を宣べます。22-28節を再び読みますが、パウロは、29節で偶像礼拝を批判した後、30-31節でまとめへと展開します。「神は…今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられ」(30)、神は、創造の神でもあるが、「裁く」(31)神でもあると明示します。そして、この「裁き」は、「一人の方」とその方の「復活」から、すべての人に確証をお与えになった(31)と、伝えるのです。[「裁き」は、現代の用法も眺め、広く受けとめたいと思います。]パウロは、このアテネでも(他の町においてもそうですが)、聴衆から拒絶されるという危険を冒しても、敢えて「復活」について語ります。知識や「自然神学」は自然の成り行きを説明しますが、「復活」は神の領域に触れるのです…。そして、アテネの町でも「信仰に入った者」がいたという報告があります(34)。パウロは、伝えるべきを伝え、新しいことを求めるだけで(自分は変わることなく)時を過ごしていた人々を後にして、コリントへと移っていきます。

