説教:加藤 久幸 牧師
イザヤ書43:1-7
2025年度の年度聖書に提案しようといるのは、南王国ユダの人々がバビロンに連行されたバビロン捕囚期(紀元前6世紀)に語られた言葉だと、言われています。「自分たちはもう…見捨てられた」と感じた人々に、神さまは「わたしは あなたと共にいる」(5)と語られ、「わたしの目に あなたは値高く、尊く、わたしはあなたを愛」する(4)と言われます。私たちは自分にあると思う時間や能力に重きを置こうとしますが、神さまは違います。あなたがたは「皆、わたしの名によって呼ばれる者。わたしの栄光のために創造し、形づくり、完成した者」(7)と言われます。「わたしが あなたを造った。…わたしはあなたを愛している。だから、あなたと共にいる」と。それ故、私たちは神さまを愛し、神さま[の栄光]を賛美します。そのことが、私たちを招いている使命(生きなさいという促し)、生きる意味そのものなのだと、私は想います。主題の「ともに」との関連では、神さまが「人が独りでいるのは良くない」(創世記2:18)と、助け手(隣り合う者)を創ってくださったことを想います。振り返ってわかることですが、私たちは「ともに」ということをやめると、助け手となる存在も裁き合い傷つけ合う相手としてしまいます。私たちは、他者との関わりをもう一度受けとめ直さなければならない時(それは、他の存在との付き合いは「もういいよ」と感じてしまうような時も含めて…)、その出発点・起点となるのが、神さまとの「ともに」という関わりにあると、今日の聖書は語っています。