説教:加藤 久幸 牧師
使徒言行録26:24-32
パウロが弁明すると(26:1-23)、フェストゥスから「お前は、頭がおかしい」と言われ(24)、また、アグリッパ王[Ⅱ世]から「短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか」と言われます(28)。確かに、パウロは、弁明の中で、[旧約]聖書の約束の実現つまりメシア[イエス・キリスト]の到来、さらにはメシアが復活される[やがて来られる]ことを、示しました…。そして、パウロは、そのメシアから「奉仕者、証人」とされたことを、証ししました。先週の説教で少し触れましたが、パウロは、「メシアの到来=過去のクリスマスを祝うこと」のみならず、「メシアの来臨=未来のクリスマスを祝うために生きて歩むこと」を、示しました。パウロの「弁明」「証し」を聞くと、よくありがちな個人的な問題の解決という響きはありません。むしろ、彼は、福音と出会い、鞭打たれ、石を投げられ、投獄されました…。イエス・キリストの出来事と同様、パウロに起こったことは「どこかの片隅で起こったのではありません」(26)。みんなが知るべきことの始まりでありました…。パウロは、「裁判」で、すべての人が[異邦人もユダヤ人も]主イエスの復活を信じる、「私のようになってくださることを神に祈ります」(29)と、展開します。パウロへのコメントがありますが(31-32)、パウロが「裁き」を受けつつ信仰上の事由から「真実で理にかなったこと」(25)を公に話さずにいたならば、キリスト教が現在のように拡がっていったのであろうかと想うものです。

