説教:加藤 久幸 牧師
使徒言行録2:1-13
聖書は、「突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた」(2)と、伝えます。何が起こったのでしょうか。私なら、ガザの空爆の映像、あるいは、集中豪雨や津波襲来の予報の事態を、想像するでしょうか。「座って」なんかいられない、ともかく、外に出て安全と感ずる方向にひたすら避難する、そういう事態です…。しかし、人々には、何が起っているのかは冷静にはわからない…。私たちが「神の事柄」と呼ぶ事態は、後で振り返った時にあの時はこうだったと、おぼろげながら受け容れられるのかもしれません…。この時の「神の事柄」を振り返った時、それは「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人ひとりの上にとどまった」(3)と、人々は振り返ります。この表現から、そこには「熱」があり、その「熱」は(ずっと)とどまっていると伝えているように、私には想えます。私にとって聖霊を受けるという最近の経験を一つだけ語るとすれば、それは、2015年9月の関東豪雨の「浸水」とその後の経験かもしれません。[そのことを簡単に紹介しましたが]「水害を受けると共に、神の恵みを受けた人」は、神が望んでいることを求め、確かめ、そこから歩もうとしました。その経験から「話し出し」(4)、それは「神の偉大な業」(11)の証しに繋がっていたのでしょう…。聖霊を受けるということは、一時で終らず、その後の「生」にも息づいています。